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修験者にとって一つのステータス、大山
「大山寺はもともと神仏混淆(こんこう)で、山の神様とお地蔵様が一緒に祀られていました。神様は下界に降りると仏様に姿を変えて衆生を救ってくださる、という考え方です。また修験の山としても知られ、多くの修験者が訪れました。背景には、兜率天(とそつてん)という弥勒(みろく)菩薩の住まわれる所から大きな岩が落ち、それが三つに割れて熊野山、金峰山(きんぷせん)、大山になった、という言い伝えがあります。修験者にとって大山は、一つのステータスだったのです」
 と大山寺塔頭・圓流院(えんりゅういん)の住職、大館宏雄(おおだてこうゆう)氏。大山寺はその後、平安時代に村上天皇より「地蔵権現を大智明(だいちみょう)菩薩とする」と詔(みことのり)が下され、ご本尊が本殿権現社(現・大神山(おおがみやま)神社奥宮)に祀られた。当時は天皇家や貴族の寺でもあり、朝廷は事あるごとに勅使を遣わし、鎮護国家の祈願をしたそうだ。
角磐山(かくばんざん)大山寺の本堂前から、美しい大山を望む。718(養老2)年に開創された大山寺は、奈良時代から山岳信仰に帰依する修験道の修行道場として栄え、平安時代以降は山岳信仰の仏教化が進むに連れて寺院が増えた。最盛期には100を超える寺院と3000人以上の僧兵を抱えていた。
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