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標高100mほどの丘陵の尾根部に6世紀後半ごろに造られた県内最大の前方後円墳、双六古墳。戦国時代以降、石室で密談が行われていた可能性があり、双六という地名から考えて賭博(双六)が行われていたかもしれない。
巨石古墳が物語ること
Photo Chiyoshi Sugawara Text Nile’s NILE
6世紀後半以降、日本(倭国)と新羅(しらぎ)、高句麗(こうくり)など朝鮮半島の国々との関係が悪化する中、壱岐では古墳が盛んに造られた。この時代、壱岐には中央部に首長とその一族が存在していて、そうした有力者たちが次々に大型の巨石古墳を築造した。その有力者のものとされる双六(そうろく)古墳や笹塚古墳などの石室(死者を納める部屋)からは、中国大陸や朝鮮半島との交易を物語るものが数多く発見されている。特に、北斉(ほくせい)製の二彩陶器や緑釉(りょくゆう)を施した新羅土器などは、当時の倭国でも限られた権力者しか持つことができなかった貴重なものだ。壱岐島の有力者たちはそれまで築いてきた独自の交流ルートを生かし、朝鮮半島の国々と友好的な国際関係にあったことが、壱岐古墳群の石室から発見された副葬品から見えてくるという。
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