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時代を読む――原田武夫 第46回
南米に散った「御落胤」
このコラムは訳あって、成田発ヒューストン行きのフライトの中で書いている。ヒューストンは単なる経由地であり、目的はペルーの首都リマ。かの地で開催されるアジア太平洋経済協力会議( いわゆるAPEC)のプログラムの一つ「CEOサミット」に出席するための出張である。今、夕食が終わり、機内が静かに寝静まり始めたころに、このコラムを書いている。
 南米というのは実に不思議な地だ。今回訪れるのは3回目になるが、何かしら不思議な気分になる。北半球から南半球という「正反対」へと向かうためだろうか。それとも、子供のころ、船舶損害保険の最大手に勤めていた亡き父が持ち帰ってきた「船舶図鑑」の中に、“あるぜんちな丸"や“ぶらじる丸"といった不思議な名前を見つけた記憶が残っているせいだろうか。
 とにかく今回の南米出張の直前は大変であった。誠にお恥ずかしい話であるが、CEOとしての不徳の致すところ、最も信頼を置いている向きに裏切られた。もう心も破れかぶれのところに、この南米出張であった。何もかも置いて、とにかく地球の裏側に飛んで行ってしまいたい。――そんな気分であった。
 話は変わるが、最近、気になって仕方がないことがある。それは、遠く離れた南米に、なぜに我が国は一時期、大量の「移民」を出していたのだろうかということだ。その多くは第二次世界大戦後であり(無論「戦前」にも移民は存在した)、冷戦が始まっていたこと、さらには我が国が第二次世界大戦にまで至る過程及びその最中にアジア諸国で行ったことを振り返るならば、確かに「近場」で移民先の候補がないことは分かる。だが、それにしても南米は遠いのである。現在であっても飛行機で25時間はかかる。当時は、渡航手段というと船だったわけであり、今よりはるかに長い旅路で「新天地」南米に着いていた。それがここで述べたい「疑問」の入り口である。
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