PAGE...|
時代を読む――原田武夫 第74回
これから新しい「時の支配」をするのは誰なのか
今年5月1日、いよいよ新天皇陛下が即位される。「平成」は31年ほど続いて終わりを告げた。この「平成」という時代はその名とは大きく異なり、実に激動の31年間であった。
 もっともそうであるからこそ、考えなくてはならないことがあるのだ。それは「平成」であれ、「新元号」であれ、そもそも我が国における元号とは一体どのような意味を持っているのかということなのである。
 「時に区切りをつけること」は一見すると非常に象徴的な行為のように思えなくもない。だが、考えてもみてもらいたい、そもそも「時」に起点が設定されなければ、「時」を計ることができないのである。その結果、金融・経済システムそのものが全く成り立たなくなることに、早く気づかなければならないのだ。なぜか。
 時の「起点」が決められており、さらにはそこからどれだけの量の「時」が一つの単位であるのかが決められているからこそ、「金利計算」が可能になってくる。利子を計算することができるのは、「起点」が決まっているからであって、それとのある種の距離感をもってどれだけの「時の単位」が費やされたのかが明らかとされ、そこに一定の割合での掛け算がなされ ることによってなのである。 
 そうである以上、金融・経済システムが支えている全ての社会システムがそもそも「時」によって支えられているというべきことが分かってくるのだ。「時を区切ること」はその意味で絶対的な権力の行使なのである。だから、古今東西、最高権力者は最終的に「時」を刻み込み、そこに自らの意思を打刻しようと躍起になってきたというわけなのだ。
PAGE...|

記事カテゴリー