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首長の墳墓とされる前方後円墳31基のほか、円墳、方墳、地下式横穴墓など、さまざまな種類が存在するのも西都原古墳群の特徴。300余基という規模からも大きな都だったことがわかる。
Photo Satoru Seki
Text Rie Nakajima
神々たちの夢の跡――西都原・茶臼原
牛飼いたちの初代が入植した茶臼原周辺には、あちこちに古墳群が存在する。茶臼原にも、古墳時代の5世紀前半に築造されたという55基もの古墳を避けるようにして、畑や牧場が広がっているのだ。戦後の急激な人口増加によって、押し出されるようにこの地にやってきた入植者たちは、飢えや寒さに耐え、古墳を横目に、ここで繁栄することを夢見て荒れた原野の開拓に挑んだ。その様子が、茶臼原の「開拓の詩」にもうたわれている。
 茶臼原の西に、日本最大数の古墳が集まる国の特別史跡、西さい都と 原ばる古墳群がある。4世紀から7世紀前半にかけて造られたと言われ、東西2.6㎞、南北4.2㎞の平らな台地に位置している。豊かな自然に囲まれた広大な地域に300余基もの古墳が点在し、1952(昭和27)年に国の特別史跡の指定を受けた。その後「風土記の丘」第1号として、花や自然と古墳が調和する公園に整備されている。
 宮崎といえば、古事記や日本書紀に登場する、日本黎明(れいめい)時代の日向(ひゅうが)神話の舞台として知られている。その神話の多くは、自らの力を正当化しようとした権力者たちと結びついたものだった。西都は、古代日向の都として栄え、その後も政治・経済の要となった場所である。市内には、アマテラスオオミカミの命で、地上世界を統治するために降り立った(天孫降臨)とされるニニギノミコトと、その妃のコノハナサクヤヒメにまつわる神話伝承地が連なる「記紀の道」があり、西都原古墳群もその道筋に位置している。
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