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牛舎から牛たちが外に出てきて日光浴をしている。1歳くらいまでの牛は、屋外へ出入り自由だ。このスペースで皆でひなたぼっこ。岸本さんの牛舎の構造は見たことのないスタイルだ。
“和牛王国”復活! 鳥取県が“肉質日本一”に
Photo TONY TANIUCHI Text Nile’s NILE
松葉がに漁のほかにもう一つ、鳥取県には江戸時代から盛んなものがある。それは和牛の育成だ。江戸中・後期から、優良形質の維持・改良が行われるようになり、当時の日本三大牛馬市の一つとして鳥取県西部の大山で大規模な牛馬市も開かれていた。特に優れた系統は「蔓牛(つるうし)」と呼ばれ、こうした市では高値で取引されたという。
 そして1920(大正9)年には、全国でも初めて和牛の登録事業(和牛の戸籍管理)に着手。鳥取県の和牛は「因伯(いんぱく)牛」と呼ばれ、種牛として高く評価された。その後、九州や東北といった新しい産地に多くの種牛としてこの「因伯牛」を供給した。
 日本では明治時代まで牛肉を食べる習慣がなかったが、昭和30年代以降、役用牛から肉用牛への需要が高まった。そんな中、1966(昭和41)年に第1回全国和牛能力共進会(和牛のオリンピック)が開催される。そこで鳥取県畜産試験場が所有する「気高(けたか)」号が1等賞を獲得。この「気高」号が全国の和牛改良の基礎となり、全国のブランド和牛の始祖牛となっているのだ。「気高」号以降も高いレベルの種雄牛(しゅゆうぎゅう)を生み出し、2014年には「百合白清(ゆりしらきよ)2」が全国ナンバーワンの評価に、さらに「白鵬(はくほう)85の3」がその座を奪取。2015年には「百合福久(ふくひさ)」が全国3位の評価を得ている。
 〝和牛王国復活〞の兆しがある中、5年に1度の〝和牛のオリンピック〞とされる「全国和牛能力共進会」が2017年9月に開催された。そこで、同大会に出場した智頭町(ちづちょう)の岸本真広(まさひろ)さんの牛舎「うしぶせファーム」を訪ねた。岸本さんは、九つある審査区分の第7区(総合評価群)の「肉牛の部・種牛の部」に生産者の一人として出品。“花の7区"とも呼ばれるほど、注目を集める区で、鳥取県は「肉牛の部」で1位に、「種牛の部」では5位を獲得。総合2位という大躍進を果たしたのだ。
 かつては子牛の競り市が立つほど、畜産業が盛んだったという智頭町は、鳥取県の東南、岡山県との県境に位置する。町の周囲は1000m級の中国山脈の山々が連なり、その山峡を縫って流れる川が智頭で合流し、千代(せんだい)川となり日本海に注いでいる。長い歳月を経て、あの鳥取砂丘の砂を育んだ源流の町でもある。町の面積の93%を山林が占めており、杉を始めとする緑が一面に広がる。この地で和牛の繁殖・肥育一貫の畜産を営む岸本さんは、「物心ついた頃から牛は身近な存在であり、当たり前のように牛の世話を手伝い、牛とともに育った」と話す。迷うことなく2代目を継ぎ、現在は父親の代からの鳥取牛の血統を受け継ぐ黒毛和牛を50頭の母牛と140頭の牛を肥育している。
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