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国宝「松林図屏風」 長谷川等伯 筆 東京国立博物館所蔵 Image:TNM Image Archives

晩年に等伯が故郷・七尾の風景を思い出して描いたといわれるこの「松林図屏風」は、近世水墨画の最高傑作ともいわれている。6曲1双の紙本墨画。
もやに包まれて見え隠れする松林のなにげない風情を、その筆で大胆に描きながら、見る者にとって禅の境地とも、わびの境地とも受けとれる閑静で奥深い表現をしている。等伯が長谷川信春の名で絵仏師として能登で過ごした修行とも言える時代の苦労が、晩年の作品にも表れているのではないだろうか。
能登・等伯の風景
Photo Masahiro Goda
Text Junko Chiba
能登の海に日が昇る頃、強風に耐えて細くしなるように立つ松林が朝もやにかすむ。
松林図屏風―七尾に生まれた長谷川等伯が故郷を思い起こして描いたといわれるその情景を見ていると、どことも知れぬ遠い所へ、深く深く迷い込んでいく心地になる。
33歳で上洛するまで、この地で「絵仏師」として生きたという若き等伯の足跡を訪ねて、秋まだ浅い能登路をたどる旅に出た。

七尾の一本杉通り

 長谷川等伯は1539年、能登国の戦国大名・畠山氏の家臣である奥村文之丞宗道の子として生まれた。家を継いだのは長兄の武之丞。等伯は幼少の頃に、染物屋を営む長谷川家に請われて養子に出た。すでに出芽していた絵の才能が見込まれたのかもしれない。やがて娘の静子の婿になり、長谷川家を継いだのだった。
 等伯が長谷川信春の名で絵仏師として活躍していた時、その拠点となった七尾とはどんな所だったのか。まずは畠山氏の居城、七尾城跡に向かうとしよう。
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