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リドー運河が流れる水と緑の街、オタワ。パーラメント・ヒルを中心に広がるダウンタウンには、名門ホテル、フェアモント・シャトー・ローリエが街のシンボル的存在として立つ。
カナダ建国までの道のり
Photo Satoru Seki
Text Rie Nakajima
植民地としてスタートし、大国の政治的利害に翻弄されながら…
先住民史では「時の始まり」からこの地に住むと伝えられる、イヌイットやファースト・ネーションズと呼ばれる先住民の居住地であったカナダが、初めてヨーロッパ人に「発見」されたのは、コロンブスのアメリカ大陸到達から5年後の1497年のこと。イギリス国王ヘンリー7世が、イタリア人航海者のジョン・カボットにカナダ東海岸を探検させたのを皮切りに、スペイン人やポルトガル人が北アメリカ沿岸を探検している。だが、年中氷に閉ざされるカナダの厳しい気候に恐れをなしたのか(あるいは手を出すほどの価値を見いださなかったのか)、植民地が建設されたのは1605年が最初で、フランス人がカナダ東部のノバスコシア付近に入植を試み、のちにケベックに移動した。一方、イギリス人は1621年からノバスコシアに本格的な植民地を建設し、ニューファンドランド、ニューブランズウィック、プリンスエドワード島などに次々と植民地を広げていく。こうしてしばらくは両国の植民地が共存していたが、ヨーロッパでイギリスとフランスの対立が深まると、カナダでも両国による領土争いが激化する。結果、勝者となったのはイギリスであり、1763年のパリ条約によってフランスの全カナダ植民地はイギリスに割譲されることとなった。
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