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アッピア街道の夢
RomaからBrindisi
Photo Chiyoshi Sugawara Text Nile’s NILE
1960年、アッピア街道はローマオリンピックのフィナーレを飾る舞台となった。暮れ落ちた石畳の街道を走り抜ける、エチオピアのアベベの姿は、まさに古代ローマの英雄をたたえる、叙事詩そのものであった。ローマから南東に一直線に延びるアッピア街道が建設されたのは紀元前312年。後に375本もの幹線道路を擁するローマ街道の“最初の一本”である。 “街道の女王”という異名を持ち、現存するローマ街道の中で最も有名なアッピア街道の、2400年の記憶を訪ねる。
アッピア街道の建設が始まったのは紀元前312年のこと。当時のローマの最高位者であったケンソル(監察官)のアッピウス・クラウディウスが立案し、最初のローマ街道として、アッピア街道の敷設に着手した。アッピウス自ら建設を指揮したため、アッピア街道と名づけられた。
ちなみにこの人物、ローマのインフラのもう一つの雄であるローマ水道の立案者でもある。
「すべての道はローマに通ず」という言葉通り、ローマ街道網は375本の幹線だけで8万㎞以上、支線を合わせると15万㎞もあったといわれる。現在でも、古代ローマ帝国の支配地域では、その遺跡を随所で見ることができる。
 またアッピア街道は、「ローマ街道とはどうあるべきか」というモデルとなった道。これが“街道の女王"と呼ばれるゆえんである
(左)サン・セバスティアーノ門の少し先に第1マイルストーン(里程標)がある。マイルストーンは、ローマ帝国が紀元前120年ごろの道路関連法「センプローニウス法」に基づき主要な街道には1ローマ・マイル(1000歩、約1.5㎞) ごとに設置したのが始まりとされる。 起点はフォロ・ロマーノ。
(右)アッピア街道の表面は、分厚い敷石で隙間なく埋め尽くされた舗装道路だ。敷石にはベスビオ山の丈夫な玄武岩(溶岩が流れ出て固まったもの)を用いている。その下は深さ1.5m程度あり、下層路盤が大きな石、中層路盤が中くらいの石、上層路盤が粘土と砂利を混ぜた多層構造になっている。
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