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都久夫須麻神社が祀る4柱の神
宝厳寺を後にし、舟廊下を渡って都久夫須麻神社本殿に向かう。迎えてくれたのは宮司の生嶋厳雄さん。信仰の源流をたどりつつこう語る。
「竹生島が信仰され始めたのは2、3000年も前のことです。湖畔に住む人たちは魚や貝などの食糧の恵みに感謝し、一方で大雨が降ると水位が上がって家が潰されることを非常に恐れた。それでいつも琵琶湖に向かって拝んでたんでしょうね。それからです、金寶冨貴の神様になったのは。信長も秀吉もその祈願にここへ来たんですよ」
 宮司のこの話に出てきた市杵島比売命は天照大神の子で、『古事記』では海上・陸上の道を開いた交通安全・開運厄除の神様とされる。福岡県にある宗像大社(むなかたたいしゃ)の「宗像三神」の一柱で、仏教が広まった平安時代に弁才天と同一視されたことで知られる。宗像三神は、古来日本と朝鮮半島との貿易に活躍した宗像氏が祀った海の神。中でも最も美しい神と言われた市杵島比売命が、インド生まれの美しい仏、弁才天と結び付けられたらしい。都久夫須麻神社にはこの市杵島比売命が天智朝の時に祀られたとされている。



国宝の輝き
「ここは3回、大きな火事に遭いましたが、その都度、10年ほどで再建されてきました。土地の信仰だけではとてもできなかったでしょうね。弁才天信仰が形成されたおかげで、勧進(かんじん)・復興がかないました。最後の火事は1558(永禄元)年の大火。堂塔がことごとく失われました」と生嶋さん。
 狩野光信が描いた天井や左右の襖等の彩色画はもちろんのこと、黒漆塗りの上にいわゆる「高台寺蒔絵(こうだいじまきえ)」的表現が全面に施された柱、長押(なげし)、桁(けた)など、見事の一語に尽きる。
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