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大名小路沿いに三菱一号館と丸の内パークビルを見る。丸の内パークビルの低層部外壁には、かつて同地にあった丸ノ内八重洲ビルヂング(1928年竣工)の基壇部の石を使用。街角に重厚な趣を生み出している。
「一丁倫敦」と「一丁紐育」
 とはいえ、西洋式の経済活動を行う市街地の造営は初めてのこと。当然、日本国内に前例はない。そこで彌之助と荘田が規範としたのが、ロンドンのロンバード・ストリート―ロンドン金融街の代名詞「シティ」の一角にあり、銀行や保険会社が軒を連ね、古くから金融業の中心かつ牽引(けんいん)役として機能してきたエリアだ。
 彌之助らは、丸の内もロンバード・ストリートのように、商社や金融企業が集まることで価値を高める街にしようと決意。「模範街をつくる」という理念を掲げ、ビル一棟ごとにバラバラではなく、通り全体として、あるいはエリア全体として長期的視点で開発すること、ビジョンを共有することを重視した。この街づくりにおける原則は、丸の内開発計画の基本理念として現在に至るまで引き継がれている。
 さて、丸の内に記念すべき最初のオフィスビル、第一号館(現・三菱一号館)が竣しゅん工こうしたのは1894(明治27)年のこと。明治政府が招聘した若き英国人建築家、ジョサイア・コンドルが設計を担当した。赤レンガ造りならではの存在感、当時英国で流行していたクイーン・アン様式の優美さは、人々に新時代の到来を強く感じさせたに違いない。
 第一号館が位置するのは、馬場先通りと大名小路が交差する一角。以降、馬場先通り沿い200mほどのエリアに、次々に赤レンガのオフィスビルが造られていった。どのビルも地面から軒までの高さが三菱一号館と同じ50尺(約15m)にそろえられ、スカイラインが一直線となる整然とした景観が実現。その美しさと、赤レンガ造りのビルが通り沿いに並ぶ様子がロンドンの街並みにたとえられ、このエリアは「一丁倫敦(ロンドン)」と呼ばれるようになった。
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