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京都大学西部講堂
1937(昭和12)年に建築された西部講堂は、1963(昭和38)年に現在の場所に移築された。この際に学生の自主管理運営に委ねられた。60年代の全共闘時代、そして70年代に入るとロックの黎明(れいめい)期を先導した。1973年には隔週土曜日のコンサート「MOJO WEST」が始まり、これを機に西部講堂と学外のグループ、個人との交流がさらに広がった。沢田研二のPYG、Char、村八分、かまやつひろし、カルメン・マキなどが西部講堂に立った。

昭和な京都Part2

京都は昭和が面白い
地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を創刊し、長年、編集人として携わりながら東京の街を見つめてきた森まゆみさん。京都へは、病気の治療がきっかけで通ううちに魅了され、今では2カ月に1度、北白川辺りに1週間ほど滞在し読書三昧。
 「哲学者の鶴見俊輔先生が、京都の岩倉にお住まいで、京都についていろいろ教わりました。1929年には治安維持法改悪反対を訴えた京都出身の政治家、山本宣治(せんじ)が暗殺された。その山宣は体が弱くて、園芸家になりたかったものだから、ご両親が彼の花づくりのために別荘を作ったのが、今もご子孫が宇治で料理旅館として営業している花やしき浮舟園。京都には黒澤明の『我が青春に悔いなし』のモデルになった京大滝川事件など、戦争に抗して戦った人の人脈や思いが今も生きている。神社仏閣とかお城にはあまり興味ないの。散歩して、本読んで、銭湯行って、京都の友だちと一緒に飲みながら、そういった話を聞くのが、楽しくてしかたがないんですよ」 
 明治の文芸史は、「ほぼやり尽くしたかな」という森さんは、最近では、実際に話を聞ける人たちがいる昭和に注目している。
円山公園音楽堂
戦前の1927(昭和2)年に開堂した円山公園音楽堂では、60年代から80年代に数々の伝説的なコンサートが行われた。1964年には初来日したジャズトランペッターのマイルス・デイビス、加藤和彦やきたやまおさむが組んだザ・フォーク・クルセダーズ、中川五郎、加藤和彦が所属したサディスティック・ミカ・バンド、矢沢永吉がいたキャロル、内田裕也も演奏した。約3000人を収容できる野外音楽堂は昭和時代、ものすごい輝きを放った注目の場所であった。
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