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江戸時代から蕪島の西の海域が鮫湊と呼ばれていた。江戸からの千石船が入港していかりを下ろし、藩領で産出した大豆などを載せたはしけ船がこの辺りで待ち受けていたという。
 そもそも八戸地方を約300年にわたって統治していたのは、根城(ねじょう)に城を構えた根城南部氏であった。盛岡藩は伊達氏に対する備えを理由に、1627年に根城南部氏を遠野(岩手県遠野市)へ移封。実はこの配置換えは、盛岡藩自らが八戸を治めたかったため、根城南部氏を追っ払ったようだ。
 その証しに、その後八戸は盛岡藩主が町を縄張りし、初代藩主・利直は海に面したこの地を交易の拠点にしようと、城都の建設に着手した。そのため、八戸藩が成立する4年も前に、城と堀を備えた、現在と同じ町割りの城下町が出来上がっていたのである。
 八戸藩初代藩主・直房は就任後わずか4年で亡くなり、8歳の直政(なおまさ)が幼くして2代目を継いだ。27歳で5代将軍・徳川綱吉の側用人を務めるなどして、独立したばかりの外様大名ながら、広い人脈を築いた。3代通信(みちのぶ)から4代広信(ひろのぶ)の時代には、諸制度を整備し藩政を確立。6代信依(のぶより)、7代信房(のぶふさ)の頃には、飢饉(ききん)や一揆、大きな災害などが度重なり、財政が逼迫(ひっぱく)した。これに対し8代信真(のぶまさ)、9代信順(のぶゆき)の代に藩政改革を推し進めた。こうして八戸藩は、南部家が239年間藩主を務めたのである。
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