出発点はビートルズ
本業のファッションにいきなりブライアン・フェリーが飛び出したこの話でも分かるように、「栗野ワールド」の核には音楽がある。言い換えれば、音楽は栗野氏にとって生きるエネルギーであり、仕事やライフスタイルと深いところで響き合う“刺激剤"でもあるのだ。
ではいつ、栗野氏は音楽に目覚めたのか。話は少年期にさかのぼる。
「小学校5年の時にビートルズを知って、中学1年になった1966年に彼らが来日したんですよ。最初はミュージシャンとしてのビートルズにひかれて、だんだんラブ&ピースの思想とかに共感する中で、世の中全体に影響を与えている人たちという認識になって、ますますのめり込んでいきました。というのも私の場合、彼らが何を言っているのかが知りたくて、自分で歌詞を訳すんですね。その歌詞に託されたメッセージに興味があったわけです。
そしてビートルズ以降、いろんなロックが出て、結果、ロキシー・ミュージックとデビッド・ボウイにはすごく影響を受けました。それも歌詞がものすごくいいからです。私がそれなりに英語をしゃべれるようになったのも、多様なものの考え方が身に着いたのも、彼らのおかげですね」
栗野氏が「すごい」と思った歌詞は、例えばロキシー・ミュージックの『A Song For Europe』。「女性との別れを歌いながら、ヨーロッパ文化に対する挽歌になっている」ところが秀逸だという。
「歌詞が途中で、ヨーロッパ文化の幹をなすフランス語とラテン語になるんです。彼は美大を出たインテリで、自分のハイブラウな趣味と、その対極にある好きなものとを同居させているから、書く詞が面白い。他に『In Every Dream Home A Heartache』という曲は、お金も名誉もあるけど一緒に暮らしているのはビニール製のダッチワイフという男の歌で、最後は『僕は君に息を吹き込んだけど、君は僕を破滅させた』みたいな詞。こんなことをロックで言うやつがいると感動しましたね」


栗野氏が多くの影響を受けたイギリスのロックバンド、ロキシー・ミュージックのレコードジャケット。「これは1973年に出た、彼らの3枚目のアルバムなんですけど、このときにロックバンドが女の人の裸みたいなジャケット自体、逆説的っていうか。この人たち毎回、女の人の裸なんですよ。全然ロックらしくないっていうか」と栗野氏はインタビュー早々に持参した、この貴重なLPレコードを見せてくれた。